元水柱 鱗滝左近次の弟、志田豊治(しだとよじ)。
兄であり、元柱の鱗滝左近次への強い憧れと強さを目標として鍛錬したが、あまりの大きな力の差を肌で感じながら柱になったものの、兄を目標とせず己の役目に気づいたのは、鬼との戦いの中で多くの仲間が死んでいくことの「怒り、悲しみ、淋しさ、恨み」の情念からだとされている。
基本的に水の使い手であったが、鬼たちとの戦さで命を落としていった仲間達を見続けていくなかで、他の鬼殺隊の型や技を覚えて鬼を退治していくようになる。(その方が鬼を退治しやすかった)
彼は、戦う素質と感(霊感や第六感:勘付き)が、ずば抜けていたこともあり自ら痣を発現する事も出来るらしいが、そうすると25歳までしか生きられなくなり、亡くなっていった仲間を供養できなくなるので、痣を出さないらしい。
鬼殺隊の仲間や、先輩・後輩が死ぬ間際に言う言葉「悔しい」「死ねない」「あとは頼む、鬼を・・・。」を、胸に刻み戦っていたが、鬼との戦いに虚しさや辛さから戦いを拒否してしまう。
とある日、鬼殺隊に入る前や入ってからこの世を去った仲間達が見えるようになり、彼らの想いを感じることが出来るようになる。 そして、私たちの叶いを願えて欲しいと伝えられ、そこから、彼の畢生が波乱万丈となるのである。
闇柱の役目は鬼に殺された鬼殺隊員の霊を慰め、いたわり、無念の心をやわら げ不帰の客とすること。そして亡くなった鬼殺隊員を親方様(産屋敷耀哉)に伝える。他の柱達が闇柱の存在を知らないのは、産屋敷耀哉が表向きは闇柱を戦死としていた。
闇柱の歴史は古く、日柱・継国縁壱が居た、400年前には存在していたらしい。 鬼と戦い亡くなった者を弔う者の中に、霊感が強い者がおり、その人物が闇柱になったと伝えられている。
志田豊治は柱になる条件の「鬼を50体倒す」を満たすのに1年を要した。 そして闇柱となった。愛刃の長さは、2尺6寸5分 であり、刃には、「惡鬼滅殺」「鉛刀一割」の2つが刻まれている。
何故か、お稲荷さんや稲荷神社を見つけると必ず「油揚げ」をお供えする。
- 壱ノ型
裏霞(うらがすみ)- 一斬 - 弐の型
不知火(しらぬい)- 二連 - 参の型
宵冷(よいざめ)- 三斬 - 死の型
極獄(きょうごく)- 四連 - 伍の型
霊召自刃(れいしょうじば)- 横無双 - 陸の型
月下影殺(げっかえいさつ)- 六斬 - 漆の型
亡啼き拳(ななきこぶし)- 七連 - 八の型
霊弩怨恨(れいどおんこん)- 縦無双 - 苦の型
悶絶大白狐(もんぜつだいびゃこ)- 一斬 - 拾ノ型
闇死導(やみしどう)- 大無双